生徒指導における手段と目的
手段が目的になってしまっていないか
学年の先生と生徒指導について話をする場面があった。
校則や学年・学級のルールについても話題に上がった。
生徒を細かく観察し、声をかけていくことは大切。
しかし、注意をし、その行動を正すことに重きが置かれすぎていないか?
つまり、手段がいつのまにか目的になってしまっていないか?
生徒指導には、目的がある。
以下、文部科学省の「生徒指導提要」より引用。
生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです。すなわち、生徒指導は、すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目指すとともに、学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを目指しています。
私自身もこれを読んでハッとさせられた部分がありました。
簡単にまとめると…
・人格の発達
・学校生活の充実
の2点が生徒指導の目的になってくるのではないでしょうか。
手段は、目的に基づき、そしてその目的に近づくためのものになっているか?
今、学校や学年で共有されている指導方針はこの2点につながるものか?
今、学級やその他の場面で自分がしている指導はこの2点につながっているか?
そのことをもう一度 、見つめ直さなければならないと痛感した一日でした。
職員室でこういう話を気兼ねなくできる先輩の先生の存在に感謝です。
それでは。