子どもの手による給食準備
子どもの姿を誇りに思う
学級三役の話し合いで、こんな意見があった。
「◯組の課題のひとつは、『ごちそうさま』の時間になっても、まだ食べ終わっていない人が数人いることです」
私はその話し合いを横で聞いていた。
「三役を中心にもっと声かけしていこうよ」
「間に合わないなら減らせばいいんじゃない?」
現状を打破しようと、意見を出し合っていた。
三役の中で、浮かない顔をしている女の子がいた。
その子は、学級のために頑張る子だが、食が細く、「ごちそうさま」の時間に間に合わないこともある。
普段は積極的に意見を言うのだが、罪悪感があるのか、口数が少ない。
私は声をかけた。
「◯◯さん(浮かない顔をしている子)は、どう思う?」
驚いたような表情を一瞬浮かべたあと、こう答えた。
「私は食べるのが遅くてごめんなんだけど、もうちょっと食べる時間が長かったらって思うかな…」
私はちょっと思わせぶりに「なるほどね」と返した。
子どもたちはハッとした表情を浮かべた。
そして、ひとつの目標を立てた。
「給食準備を今よりもっと早くする」
食器を運ぶ人を最適な人数に分け、盛り付ける人同士でテクニックを共有し、安全かつ素早く配膳するためのフォーメーションを自分たちで考えた。
給食前の4時間目に準備しておけることはないか考えたり、流しでは給食当番が手を洗うのを最優先にするよう譲ったり。
各々ができることに最大限取り組むことで、クラスの給食準備は大幅にスピードアップした。
そして、今では「ごちそうさま」の時間に食べ終わっていない子は誰もいない。
私はこのような子どもの姿を誇りに思う。
それと同様に、子どもも自分たちの給食準備を誇りに思っているようだ。
やはり、自分たちの手で創り上げたものは強く、美しい。
そして何より、「食べるのが遅い人に声をかける」「間に合わないから減らす」といった解決方法ではなく、「準備を早くして会食時間を確保する」というポジティブさが好き。
他のクラスの担任の先生がこんなことを話してくれた。
「うちのクラスの子たちが、◯組の給食準備が早いのを聞きつけたみたいです。◯組の子から話を聞いて、給食準備を頑張っていますよ!」
子どもたちがお互いに高め合える、そんな関係こそ最高だし、胸が熱くなった。
もうすぐ2学期が終わりを迎えるが、3学期もまだまだ伸ばしていきたい、そんな風に思う。