プロ野球選手から医学部合格のニュースをみて
寺田光輝さん、おめでとうございます。
ふとネットニュースを見ていると、元プロ野球選手の寺田光輝さんが医学部の編入試験に合格したとの記事が。
【ご報告】
— 寺田光輝 (@terada_koki54) 2021年7月17日
東海大学医学部編入試験に合格できました!ほとんどの方に直接連絡できていない状況ですが、取り急ぎ報告とさせていただきます。
すごい。並々ならぬ努力があったことと思う。
寺田さんのことが気になったのでウィキペディアを見てみた。
高校卒業後は三重大学の教育学部へ進学したが、「レベルの高さに圧倒された」とのことで[3]、入学から2か月後に休学。祖父や叔父なども医師であったこと[2]を背景に、一時は医学部への転部を検討していた[4]。しかし、「野球を続けたい」との一心で、三重大学の中退・2年間の浪人生活を経て筑波大学へ入学した[5]。筑波大学での同期生にはラグビー選手の福岡堅樹がいたが、在学中にはお互いに面識がなかったという[2]。筑波大学では硬式野球部へ所属し、4年時に救援投手として首都大学野球のリーグ戦に登板。しかし、特筆するほどの活躍には至らず、卒業後には地元の百五銀行へ就職することが内定していたが、奈良隆章(当時の硬式野球部助監督)から「ここで(野球生活を)終わるのはもったいないじゃないか。野球を続ける道を探したらどうか?」と勧められたことをきっかけに、独立リーグからNPBを目指すことを決意[6]。結局、内定を辞退し、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の石川ミリオンスターズに入団した。背番号は14[6]。
この後、石川ミリオンスターズから横浜DeNAベイスターズに入団。
人生いろいろとは言うけれど、映画が一本できそうな経歴。
年齢を見ると、ほぼ私と同世代。
きっと、寺田さんは常に目の前のことに対して懸命に取り組んできたのだろう。
そして、常にチャレンジし続けたのだろう。
私には寺田さんのような経歴はない。
努力は人と比べるものではないかもしれないが、比べたとしたら遠く及ばない。
それでも、目の前のことに懸命に取り組み、チャレンジし続ける姿勢は見習いたい。
いつか寺田さんのように誰かにエネルギーを与えられる存在になれたらな。
それでは。